作家が生き延びること。「失踪日記」吾妻ひでお(イースト・プレス)

 吾妻ひでお。同時代のひとなのに、もうすでにいない過去のひとのようだった。初めて読んだ吾妻ひでおの本が「夜の魚」(太田出版)で、大学生の時だった。その解説で、発行者である大塚英志氏が、

八〇年代の不毛と未だ地続きのこの時代に編集者であり続けるぼくは自分で初めて持つレーベルの最初の配本として「夜の魚」を流通させる。

と宣言してる。ぼくがこの本を本屋の手に取ったとき、吾妻ひでおは書けなくなって、表舞台から消えていたのだった。この本をきっかけに、吾妻ひでおの漫画を読み始め、また世間でも、昔の作品が、新装復刊されたり、文庫化されたり、吾妻ひでお市場(?)は賑わいを見せていたが、作者は、依然として、昔活躍した伝説のカルト作家のままだった。

 それから10年以上経って、「失踪日記」が出たとき、吾妻ひでお生きてたのか!と思ってしまったのは、不勉強で大変申し訳ないところ。しかし、書けずにいた間に、こんな苦労をなさっていたとは。

 ウィリアム・バロウズが書いてた。本が見つからないからうろ覚えの引用で申し訳ないんだけど、バロウズがなにかで書いてた。作家は生き延びて自分が体験したことを書かなきゃいけないって。なにかをやり遂げられなくてもいいし、途中で逃げてもいい。生きて、それを書くこと。ヘミングウェイやフィッツジェラルドが自分の体験した時代を作品にしたように。

 吾妻ひでおは生き延びたのだった。ホームレスになったり、アル中になって病院に監禁されたり、命からがら生き延びて、それを書いたのだった。作家として。

 ホームレスの体験記もアル中患者の体験記も、世間にはたくさんある。みんな貴重な記録だ。でもこの本はただの体験記じゃない。この本には、ひとりの芸術家が長年かけて創りあげてきた、彼にしかない芸があるのだ。

 ホームレスとして、ごみを漁りながら、山の中を彷徨う自分。アル中になって、幻覚や幻聴に苦しめられ、病院に強制入院させられる自分。吾妻ひでおは、自己憐憫にひたりもせず、言い訳もせず、自分自身をギャグ漫画の素材として、突き放して、描いたのだった。吾妻ひでおの絵が、これほどまでに描写力があるとは、知っているようで知らなかった。美少女やSFだけじゃないんだ。雨の日のホームレスの一日、連行された警察署でのやりとり、アル中病棟の人間模様、われわれの好きな彼の絵で、乾いたユーモアをともなって、客観的に、あざやかに描かれていくのである。うっかり何気なく面白く読んでしまうけれども、自分をここまで突き放した視点で、客観的にギャグとして、描けるひともそうはいない。年季の入った芸のなせる業だなどと、生意気なことを言ったら、怒られるだろうけれども。

失踪日記