STAFF人生。「瀬島龍三 参謀の昭和史」保阪正康(文春文庫)

 自分がもしシベリアに抑留されたとしたら、と考えてみる。日本は戦争に負けて無条件降伏。満州に取り残された兵士たちはロシア軍の捕虜になってシベリアの強制収容所に入れられる。さて、どんなスタンスで生き延びるのだろうか。

 自分は捕虜なんだからジュネーブ条約にのっとって取り扱ってよ!戦争は終わったんだからハーグ条約に従って家に帰してよ!と抗議して、出来る限り反抗的にすごすだろうか。それとも、過酷なノルマを受け入れて、見つからない程度にさぼりながらも労働に励むだろうか。それとも当局に積極的に取り入って、「スターリン万歳!日本に帰っても共産主義のため頑張ります!ほらみんな、スターリン大元帥のため頑張って働こう!!」なんて尻尾を振る犬みたいになるのか。

 おそらくというか絶対に自分は、「スターリン万歳」組になるだろう。ぼくは自分の臆病、卑劣さ、強いものへの迎合、従順には(残念ながら)自信がある。極寒のシベリアで、食べるものもなく、厳しい労働に体力を消耗して、バタバタと人が死んでいく。そんな状況で生き延びるためなら親兄弟だって売るだろう。マルクス主義だって心から信じるし、万歳してご飯が少しでも増えるなら、いくらでもスターリンのために万歳しちゃう。ロシア当局におべっかをつかい、協力的でない日本人の同胞を密告、告発したりとおぞましいほどいやな奴に成り下がるだろう。そんな自信はある。もっともそうなる前に寒さと飢えで死んじゃうだろうけど。体制に順応しようとも反抗しようとも、なにはともあれ体力が必要なのだ。シベリアでは。

 さて前置きが長くなりました。この本は瀬島龍三氏の評伝である。作者は瀬島氏に対して厳しく批判的である。読んでいて「そこまで突っ込まなくてももいいんじゃないの」と思うことがしばしばあった。しかし、作者の批判は事実に基づいたもので、不確かな伝聞にもとづく誹謗中傷のようなものではない。作者は瀬島氏に強い不満を抱いているが、彼を描く作者の態度は公平なものである。

 瀬島龍三氏は、大本営の作戦参謀だった。陸大を出たエリートで、敗戦後シベリアに十一年間抑留され、帰国後は伊藤忠商事で活躍し、副社長、会長を歴任した。中曽根総理大臣の参謀としても活躍し、行革審を実質的に取り仕切った。一言で言うなら、軍隊でも商社でも政治の世界でも優秀な参謀だったひとである。

 彼が伊藤忠時代に部下のために書いた心得がある。「STAFF勤務の参考」というタイトルである。会社組織にはラインとスタッフがあるそうで、ラインとは、社長ー部長ー課長ー係長ー平社員といった一元的な命令系統の中で業務を実行する人たち。スタッフとは、ラインの系統からは外れて、ラインに対して補佐、助言、サービスを行う人たち。総務とか人事とか経理とか企画とか間接部門の人たちのことだ。ラインとスタッフの組織はもともと軍隊に由来するそうで、そういや参謀という言葉は英語のstaffの訳語である。瀬島氏は陸軍大学校を最優秀で卒業し、太平洋戦争中ほとんどの期間を大本営の作戦参謀として勤めた人だから、日本で最も優れたstaff教育を受け、日本の歴史上最も大きな戦争を遂行したstaffであるといえるだろう。その彼が書くstaffの心得だからこれは大変重みがある。本書から一節だけ引用させていただく。

2、staffノ本質ハ「補佐」デアル。

重責ヲ担ウ主体ノコトヲ思イ主体ノ身ニナッテソノ職責ノ完遂ニbestヲツクシテ協力スル心構エガ肝要デアル。コレガ主体ノ為デアリ会社ノ為デアル。「功アレバ主体ニ、過アレバ己ニ」ノ気概ガ必要デアル。

 良かれ悪しかれ、この「重責ヲ担ウ主体ノコトヲ思イ主体ノ身ニナッテソノ職責ノ完遂ニbestヲツクシテ協力スル」という一節が、彼の生涯の要約になるのだろう。大日本帝国軍人としては、主体である軍司令官を補佐する。シベリアの強制収容所の分団長としては、主体であるロシア当局と日本人捕虜の板挟みとなってノルマの達成に苦労する。伊藤忠では、主体である社長のため会社のため航空機商戦に辣腕を振るう。政治の世界では、主体である中曽根総理大臣のために行政改革推進審議会をリードする。主体が何であれ、つねにstaffとして尽くしてきた人生である。ある意味非常に首尾一貫している。陸大でのスパルタ参謀教育の成果なのであろうけれども、エリート参謀ってすごいなと思ったりする。

 瀬島龍三氏に対する批判は主に二つある。一つは大本営作戦参謀としての戦争責任。二つ目はシベリア抑留の際、ロシア当局に協力的だった点。本書でも非常に細かく取材をして、戦争中の彼の活動、抑留中の彼の行動について、記述されている。その真偽について評価を下せるような知識はぼくには無いけれども、たぶん本書で書かれている通りなんだろうなと思う。瀬島氏はシベリア帰りということで、アカのスパイであるとか、洗脳されたとかデマが流されていたそうで、作者もこのデリケートな点について、事実と単なる憶測や不確かな伝聞でしかないものをきちんと分けて書いている。

 作者は瀬島氏に要求する。戦争中の、多大な犠牲を出した作戦指導について、大本営参謀だった瀬島氏は説明責任をはたさねばならない。シベリア抑留について、関東軍とロシア軍に秘密協定があったのか、停戦協定に参加した瀬島氏は真実を証言すべきである、と。しかし、瀬島氏が戦争中の大本営やシベリヤ抑留について語っているのは、単なる自慢話か苦労話ばかりだそうで、本書では瀬島氏の自慢話や苦労話が、徹底的な取材の上で詳細に分析検証されている。誰でも自慢話や苦労話はするもので、それをいちいち分析されて、事実と違うじゃないかとか突っ込まれちゃうのは、ちょっとかわいそうな気がしなくもない。もちろん、瀬島氏は歴史の証人として虚心に真実を語らなければならないという作者の批判は全く正しいのだけれども。

 瀬島氏は自分に説明責任があるとはどうも考えておられないようだ。作者に「瀬島さんが語らなければならないのは、開戦のことより、なぜ負けたかということではないでしょうか」と尋ねられて、「えっ」と驚いた表情で作者を見つめたという。大本営の戦争指導は、日本軍の玉砕につぐ玉砕という悲惨な結果だったわけだけれども、大本営参謀として責任を取らねばならないとも考えてはいないようだ。これは多分スタッフという職業の特性なんだろう。つまり、結果について責任を取らなければならないのは決定を下し実行するラインの責任者であって、スタッフは責任を負わない。「STAFF勤務の参考」で言うなら、重責を担うのは主体であって、主体を補佐するstaffではないのだ。常に模範解答を作成できる優秀なstaffであるがゆえに、たとえそれが現実と齟齬をきたしても、結果について責任を感じないのは、ある意味あたりまえである。上官が期待する模範解答を作成し、その期待にこたえることが、彼が受けてきた陸軍の教育なのだから。きちんと模範解答を作ったんだから、それで負け戦になっても、それは彼の責任ではない。優等生はそう思うんじゃないかな。ぼくのような落ちこぼれには優等生の心理はわかりませんが。

 最後に。彼がシベリア収容所の団長になって、日本人収容者を代表する立場となったとき、少しでも捕虜が生きがいを持ってすごせるよう、劇団や楽団を組織したり、ダンスパーティーや運動会、文化祭などを開催したそうだ。みんなで祖国の土を踏むまで頑張ろうと励ましたり、帰国できるまでは帰還情報に惑わされてはならないと諭したり、優秀な団長だったそうだ。団長の中にはロシア当局の威を借りて、同じ日本人に暴虐を働く人もいたそうだから、彼は非常に良心的な団長だったといえるだろう。ソ連当局の厳しいノルマの押しつけに抵抗したり、反抗的な日本人収容者を懐柔したりと、ソ連当局と日本人抑留者双方に、巧みな手腕を発揮している。なかなか一筋縄ではいかない優等生ぶりである。ぼくには、このエピソードがなぜか一番印象に残っている。それはともかく、瀬島氏には非常に厳しい批判となっている本書だが、丹念な取材にもとづいた正確な事実による優れた評伝である。戦中の大本営、戦後の商社、中曽根内閣、いずれにおいても優秀なSTAFFであった瀬島氏の半生を通して、われわれは昭和の一断片を知ることができる。おすすめの本ですよ。

瀬島龍三―参謀の昭和史 (文春文庫)