よくあるはなし。「金環食」石川達三(新潮文庫)

 一言でいうと、ダム建設を請け負った建設会社が、不正入札の見返りに、五億円の政治献金をするおはなし。よくあるはなしです。

 ぼくは1975年うまれで、1歳の時にロッキード事件。田中角栄元総理が逮捕されたこの疑獄事件、もちろん記憶にはないけれど、大人になるまで、リクルート疑惑やら、佐川急便事件やら、金丸さんの巨額脱税やら、ゼネコン汚職やら、小さい汚職事件を含めれば、山ほどいろんな政治疑獄事件をニュースで聞いて、新聞で読んで、育ってきた。だから、この本を読んだとき、なんだか懐かしい感じがしてならなかった。政官財の癒着だとかトライアングルだとか、昔はよくニュースや新聞で批判してたなあ。今はあんまりやんないね。汚職がなくなったわけじゃないんだろうけど。マスコミの力が弱くなったのか、政治が清潔になったのか。

 小説の中で、体制を弁護する政治家たちの台詞が、面白い。悪いことしてるお前が言うな、とは思うけれども、昔の政治家の言葉には含蓄があった。戦前戦中そして戦後の混乱期を生き延びてきた、決してきれいなだけではない過去を持つ、一筋縄ではいかない連中ばかりだ。

 「神谷君、こういう話はね、筋だの辻褄だのと言って、ほじくり返しては駄目なんだ。いいかい、以心伝心だ。言葉はどうでもいい。君だって本当のところは解ってるだろう。わかったらおれの苦心も察してくれてあっさり引き受けてくれるもんだ。吾々は学者じゃないんだ。政治家だからね。政治的に問題を解決しようじゃないか。

 君がいま委員会でやっている質問の内容は、よく知っている。問題はなくはない。問題はあるさ、しかしいつの時代でも、どこの国でも、政治家というものは無理算段をやってるんだ。すらすらと立派な政治がやれたら、政治家なんて楽なもんだ。それができないから、四方八方で無理なことをやるんだよ。そいつをほじくり出して追求するのは野党のやることで、君みたいな政府与党がやってくれては困るんだ。与党はみんなでかばいあって、あんまりぼろを出さないようにして、仕事を進めて行くんだよ。

 汚職なんていうものはね、民衆は騒ぎ立てるけれども、ようするにかねだ。かねなんて、それこそ天下の廻りものでね。またどこかに流れて行ってしまう。つまり汚職のかねも、政治をなめらかに動かすための潤滑油じゃないか。政治家がもしも一切の汚職をやらなくなったら、その時は君、政治もぎくしゃくとして、すらすらとは行かなくなる…こう言ってしまっては汚職をすすめるみたいになるが、そういう意味ではない。或る程度、やむを得ざる時は、大目に見てくれと、俺はそう言ってるんだよ君」

 これは、与党幹事長が、ダム不正入札を予算委員会で追求する自党の議員を説得する台詞である。この理屈、もちろんどこか間違っているのだが、この理屈が日本の政治の原理だったのだ。日本にこれ以上すぐれた政治哲学はなかったのである。皮肉でも冗談でもなく、この幹事長の政治理論よりすぐれた理論が、日本の政治にあっただろうか。西洋からの借り物ではない、われわれの風土に根ざした、オリジナルの政治論である。

 そして彼ら与党を追及する面々もさらに輪をかけて悪い奴らばかりである。ヨイショ記事を書いたり糾弾記事を書いたりして、政官財の要人にわずかな賛助金をせびって歩く三流新聞社社長。国会で不正の追及をしては、追求相手から金を貰って矛を収めるマッチポンプ(自分で火をつけておいて、炎が大きくなると、自分で消してしまうひとをマッチポンプといいます)的な国会議員。人や企業の不正を収集して金を強請って儲ける金融王。小悪、中悪、大悪のこの三人が、それぞれの思惑で、時の政府を揺るがすのだ。正義の士ではなく、自分の利益のために動く悪人たちしか不正を追及する人間がいないのが、この小説の面白いところ。

 この小説は映画化されている。監督は山本薩夫。映画についても一言しゃべらせてください。最近見たのだが、思ったよりも、おもしろかった。俳優陣の熱演というか怪演には拍手。金貸し石原参吉を演じた宇野重吉は、乱杭歯の入れ歯をつけて、政府与党の要人ですら脅迫する高利貸しの凄味に、原作にはない飄々としたユーモラスさをつけくわえて、原作の石原参吉よりもより複雑で多面的な人物を創り上げた。官房長官役の仲代達也は、原作以上に、そらっとぼけたキザなエリートで、笑っちゃうおもしろさ。神山繁はまだ若々しくふてぶてしい。大滝秀治は最後のほうにちょこっと出て、うまく存在感を残してる。クライマックスの、予算委員会で質問に立つマッチポンプ的爆弾男は三國連太郎。脚本もうまく原作を生かして、いい感じ。原作にはない、石原と官房長官の対決シーンも悪くないと思った。

 最後に。最近は全然汚職事件を聞かないんだけど、これは日本の政治が清潔になったからなのか。それとも不正を追求するひとがいなくなってしまったのか。時の政権の裏面を追求するごろつきジャーナリストも、マッチポンプ的爆弾男も、恐喝脱税王もいない世の中で、政官財界の不正は闇から闇へ消えてしまっているのだろうか。

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