このブログは、本棚にある本について、うろ覚えの記憶で感想を書くという、まことに何の役にも立たないブログです。本棚がいっぱいなんで、本を捨てなきゃならないのだけど、愛着があって捨てらんないし、全部感想を書いたら思い切って捨てちゃおうという目論見なのです。
さて、マキャベリの君主論。読んだのは確か中学生か高校生の時。もう25年以上前のことで、くわしい内容もほとんど思い出せないよ。唯一おぼえてるくだりは、「人間は親を殺された恨みを忘れることはあっても、財産を奪われた恨みは忘れないから、臣下から財産を巻き上げるのはやめたほうがいいよ」ってとこ。もしかしたらこんなこと書いてないかも。記憶違いだったらごめんなさい。
今でいうところの中二病を患っていた、中学生だった私は、こんなくだりに、「さらっとこんなこと言えるマキャベリさんカッコいい!」とか思って興奮したのでした。みなさん覚えがあるでしょうけど(ありますよね!)、中学生というのは、まだ何物でもないくせに気宇壮大(これも中二病的な単語)で、自分を世界の支配者か、全てを見通している賢者かなんかみたいに思ってるんです。ああ恥ずかしい。別にどっかの小国の君主になる予定もないのに、権謀術数を身に付け強大な支配者となって、国を繁栄に導こうとか思って、君主論を読むわけです。ああ恥ずかしい。
しかし読んだ感想は、別に大したことないじゃん、というものでした。君主論が刊行された当時、この本を読むと地獄に落ちると言われたり、禁書になったりとか、中二病を悪化させるような前評判にワクワクさせられたぶん、ストンと落とされたような感じでした。道徳や宗教的な正義を踏みにじっても、政治における権力拡大と生きのびるための現実的な方法論というのは、当時では堕落した考えに思われたのだろうけど、現代ではいたってあたりまえ。君主や支配者どころか、サラリーマンや大学生向けに、他人を出し抜いて競争に打ち勝つハウツー本が氾濫している世の中ですもの。今読むと、マキャベリなんてとてもナイーブですよ。なんちゃって。そう思える現代は進歩したのか、悪くなったのかはわからないけど。
しかし、祖国が分裂し、小国が割拠し、戦争のたんびに、小君主たちに応援に呼ばれた外国の軍隊に国土を蹂躙されるような当時のイタリアで、強力な支配者による統一国家を願うマキャベリの悲痛な願いを、読者はひしひしと感じるでしょう。この本の価値は、今やありきたりなものとなった政治権力実用書としてではなく、どんな手段を用いても祖国の平和を願うマキャベリの思いにあるのではないでしょうか。筆が滑って、思ってもいないありきたりな結論をつけてしまいました。
本棚から本をとって見てみると、古本屋で800円で買ったものでした。お小遣いの少ない中学生か高校生の私が古本屋で買ったもののようです。偉そうな顔して通学電車の中でこれみよがしに読んでたんだろうなと思うと、恥ずかしさもひとしおですね。
新訳 君主論 (中公文庫BIBLIO)
君主論〈新訳〉 (中公文庫BIBLIO)