戦争に行く芸術青年。「Uボート」ロータル=ギュンター・ブーフハイム(松谷健二訳 ハヤカワ文庫)

 潜水艦に乗ったこともなければ、頭の上に爆雷を落とされたこともない人のための本です。この小説を読むと、潜航して微速前進中の潜水艦の中で、真上にやってきた駆逐艦から、爆雷が投下されるのを、震えながら今か今かと待つ気持ちが体験できます。いや、もちろん体験はできませんが、Uボートの乗組員たちがどのようにふるまっていたかは多少なりともわかるでしょう。

 著者は、若いころから、絵を描いたり、冒険記を発表したり、美術の修行をしてた青年で、戦争中はドイツ海軍報道部隊の報道画家だったひと。掃海艇や駆逐艦、Uボートに乗り組んだ経験があるそうです。(文庫解説より)(ウィキペディアより)

 絵や写真に造詣の深い芸術家である著者は、潜水艦を取り巻く大自然から艦内の様子まで実に詳細かつ印象的に描写します。読者は、荒れ狂う海の猛威や、沈む輸送船の断末魔や、近づく敵駆逐艦のスクリュー音や、潜水艦内のひどい悪臭がする(航海中ずうっと風呂に入っていない)ひげ面の乗組員たちの姿を体験することができるでしょう。いや、もちろん体験することはできませんが、多少なりとも思い浮かべることはできるでしょう。多少なりともでも、得難いことです。

 著者が、ただの芸術青年で、戦争に行かずに、何か別のことを書いても、頭でっかちな観念的なものに過ぎなかったかもしれません。ただの職業軍人がUボートで出撃した体験を本に書いても、単なる軍記物になっただけかもしれません。優れた芸術家がUボートに乗り組むという一つの偶然によって、今までに二つとない傑作が生まれたのです。

 むかし、今住んでる狭い貧乏団地に引っ越した時、部屋の真ん中に積んである本の段ボールの一つを開けて、一番上の本を手に取ったら、それがこの小説でした。本棚を注文して本を仕舞い終わるまで、収拾がつかなくなるから、うかつに本の箱を開けちゃいかんと思って、この小説を読み返してばかりいました。段ボールしか置いてない、まだ慣れない狭い部屋の中で、この小説を読んでいると、自分が大海原の真ん中にいるような気がしたものでした。

Uボート〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)
Uボート〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)